じじちゃんの時も弔辞を読んだけど、じじちゃんの時同様、
涙で字はよく見えないし、涙声で半分何言ってるか分からなかったと思う、私の弔辞。
ばばちゃん、聞いててくれたかな。
最後に、ひ孫のむすめが弔辞を読んだけど、
むすめの方があたしより号泣してしまって、
嗚咽でほとんど何を言っているか分からなかったけど、
一人で最後まで読んだ姿に、感動しました。(←親バカ)
むすめの弔辞で、会場中はもちろんのこと、お寺の和尚さんまでもが涙していました。
弔辞を読んだ後、不思議と心が落ち着いてきました。
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ばばちゃんへ
「何食う?何食べで?」
ばばちゃんの家に遊びに行くと、決まっていうこの台詞。
入院したばばちゃんにお見舞に行ったときも、開口一番にこの言葉でした。
いつも私たちに、美味しいごっつおを食べさせたくて、
あれやこれやと用意してくれていたばばちゃん。
私は、ばばちゃんの作ったごちそうが大好きでした。
ばばちゃんの作った、「“玉菜”のけんちん」や「いとこ煮」、「ナス漬け」や「きゅうり漬け」、
「かわりごはん」は、世界で一番おいしいごっつおです。
食べたくてももう食べられないんだね。
ばばちゃんの真似して作ってみるけど、
なかなかばばちゃんと同じ味にはなりません。
おとといからずっと、私が小さかった頃のことを思い出していました。
おでかけはいつもばばちゃんと一緒でした。一緒にバスにも乗りました。
ばばちゃんの友達の家にも行きました。
畑に行くときは、畑用の一輪車に私を乗せて、ばばちゃんがそれを押して畑まで行きました。
ばばちゃんと二人自転車で出かけました。
泊まりに行くと、ばばちゃんとじじちゃんの間で寝ました。
3人で川の字で寝ていると、ばばちゃんとじじちゃんが、ふざけてお互いの足を蹴ってケンカしていて、
それが楽しくて、3人で笑ったのを覚えています。
でごづけ(たくあん)ときゅうり漬けは、周りの固い部分をばばちゃんが食べてくれて、
ばばちゃんの歯形いっぱいのその漬物を食べて、私は育ちました。
悪いことをすると「ちょーたでるぞ!」と、仏壇の線香を持ってきてはそう言っていたのが、昨日のことのように思いだされます。
昨日と今日、ばばちゃんの家の台所はにぎやかです。
でもそこに、ばばちゃんがいないのが、いまだに信じられません。
ばばちゃんがいないと分からないことがいっぱいありすぎて、
やっぱり、ばばちゃんがいないとダメみたいだよ。
ばばちゃんの作ったごちそう、もう一度食べたい。
ばばちゃんのドロドロの孟宗汁、ばばちゃんのいとこ煮、ばばちゃんのナス漬け、きゅうり漬け、ばばちゃんのかわりごはん・・・
いつもいつも「かわりご飯作ったがら、食べさ来い」「いとこ煮作ったから、食べさこい」って、言ってたね。
あの電話口から聞こえるばばちゃんの声を、もう一度聞きたいです。
入院するようになって、あまり動けなくなってきたばばちゃんを抱きかかえたとき、
あまりの細さ、軽さ、小ささにショックを受けました。
普段、つらいこともあまり口に出さないばばちゃんだったけど、入院中は何度も弱音を吐いてたね。
苦しかったんだね。痛かったんだね。もう、ご飯、無理に食べれなんて言わない。
点滴もしなくていい。いっぱいの薬を飲めなんてもう言わないから、ゆっくり、ゆっくり休んでください。
ひ孫の晴が、「ばばちゃんは、金メダルだ!」と、いつも言っています。
その理由を聞いてみると、
「ばばちゃんは料理が上手だし、お片付けも上手。畑も上手だから!」と、言っていました。
ばばちゃん、私もそう思うよ。ばばちゃんは金メダル!世界一のばばちゃんです。
身体は小さくなってしまったけど、私にはばばちゃんが、とても大きな大きな存在です。
私たち孫とひ孫をいつも可愛がってくれて、本当にありがとう。
ばばちゃん、楽しいことも、きっとつらいこともたくさんあった長い人生、本当におつかれさまでした。
今ごろ、ゆっくりしているのかな。
どうか天国で、じじちゃんと一緒に私たちを見守っていてね。
ばばちゃん、今までありがとう。
どうか、安らかに眠ってください。さようなら。